楽しい夜

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楽しい夜 / 岸本佐知子 編訳 / 講談社

「テオは眠っているとも生きているともつかないはざまに落ち込んでいた。もう充分いろいろなものを見た。ひどく疲れていた。(中略)体に眠りが残って手足をチリチリしびれさせ、いっそそれがまた自分を飲み込んでくれればいいのにと、来る日も来る日も切に願った。」

岸本佐知子さんが訳す話は、狂った話が多い。
自分の身体に蟻を移植させた人の話。
狂犬病への憎しみが肥大して公然と動物の虐殺が行われていく話。
山が巨人になって愛憎劇をする話。
読み終えた後には、ひどく奇怪な、妙な、おもしろい夢を見た時の気分になる。
でもそういうのって、どこがどうおもしろいかとか、上手く表現できないよね。
自分の見た夢とかを面白おかしく話せる人になりたい。

最近のこのブログ、レビューがレビューとしての役割を果たせなくなっている感が否めませんね。
何かを考え込むということが少なくなって、「まあいいか」で済ませてしまうんです色々。最近は。
悩まなくなったけれど、それっていいことなんだろうか。

良く家に遊びに来ていた男女の友人ふたりが、山口に行って同棲を始める。
別の友人男女ふたりも、同棲をはじめるみたい。
(淋しいとかそんな気持ちは微塵もなく)みんな幸せになっていくなあと、日の当たる縁側で寝そべる犬みたいな気持ち。

風は強いけれど東京は良い天気です。
無音の部屋で、久しぶりにただぼうっとする週末。
この家に人が集まることは当分ない。
嫌なことがあったと言って人がこの家に来ることも当分ない。
いいことだな。

# by kobaso | 2016-04-17 14:48 | 読書小話

生命と記憶のパラドクス

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生命と記憶のパラドクス/ 福岡伸一 / 文春文庫

『彼らは異口同音に述べている。飢餓や渇きが人を殺すのではない。その前に孤立と絶望が人を殺すのだと。』

小説であれエッセイであれ、本を読んでいると、時折、本と自分の経験や記憶がリンクすることがあります。
好きなものであったり、具体的な状況であったりもするし、ぼんやりした風景の時もある。
そういうものに出会った時は、まるで趣味の会う友人を見つけたかのように嬉しくなる。
この本には、そんな嬉しくなる瞬間が満載でした。

殺伐とした研究室の風景(もちろん、そこでたち振る舞う様子は僕と福岡さんとで雲泥の差があるけれど)、東京で行われた各展覧会、生物保全への違和感、ファーブル、新田次郎、日高敏隆、多田冨雄、山崎まさよしetc...
まるで、福岡さんに「これ観たとき(読んだとき、聞いたとき)、こうだったよねぇこれさあ…」と話しかけられているかのように、
自分自身の嗜好とか記憶とかにリンクすることが多くて、びっくりしました。

何年か前に(もう何年前なんだろう)六本木で開かれた、
佐藤雅彦さんの「"これも自分と認めざるを得ない"展」についても書かれていました。懐かしい。
久しぶりに、「自分が自分であることの証明」やら、「個性」やらについてぐるぐるしました。
僕は仕事が営業職なので、初対面の人と話すことが多く、
そういう時、大抵、「何県出身」だの「何大学出身」だのと、
属性の話をします。
仕事なので、自身のことや相手の込み入ったことを知る必要もないということもあるけれど、人と会ってその人を知ろうとした時に、
僕たちは大抵、属性のベン図をどんどん重ねていって、その人を知ろうとします。
そうして浮かび上がるものは、果たしてその人の「個性」と言えるのか?

「いやいや、個性っていうのはその人の考えかたとか、経験とか、その人自身にフォーカスしたものじゃないと」
って思うかもしれない。けれど、それだって結局のところ属性を重ねていることに他ならないと思うんです。
似た考えをもった人だってたくさんいるし、似た経験をした人だってたくさんいる。

「自分が自分であることの証明」になる「個性」なんて存在しない。
DNAレベルで見たって、変わりはない。
むしろ、生物学的に細かく見ればみるほど、個人はたんぱく質の集合体になって、個性は消失する。
それでも、「自分は自分だ」と言いたくなる気持ちが拭いきれないのも確かです。
それが、「個性を伸ばせ」という僕たちゆとり世代の受けてきた教育に起因するのかはわからないけれど。
ただ少し、あまりに「個性」を重要視しすぎると身動きがとれずに息苦しくなるのも事実です。
時には「代わりはいる」くらいの気持ちで、没個性的に自由になれたら楽だなと思います。

何年か前もわからなかったけれど、今もよくわからない。
個性ってなんだ。

…そして福岡さんの本の話しはどこへ行ってしまったのでしょう。
ごきげんよう。


# by kobaso | 2016-02-07 18:39 | 読書小話

自分では気づかない、ココロの盲点

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自分では気づかない、ココロの盲点 / 池谷裕二 / 朝日出版社

『脳は理由を問われると、「作話」します。しかも、でっちあげたその理由を、本人は心底から「本当の理由」だと勘違いしてしまいます。「なぜその食べ物が好きなの?」「なぜその職業に就いたの?」「なぜこの人と付き合っているの?」』
『いつしか「自分」という主体は脳活動という化学反応の渦潮に飲み込まれて消えてしまいます。どうやら、ヒトという生き物は、自分のことを自分では決して知りえない作りになっているようです。』



自分が自分であることに疲れたり、
失敗に対して自分が自分にした言い訳に嫌気がさしたり、
自分の感情の出所がわからなくなったりすること、あるよね。
僕はあるんです。
特にここ数年は。
この本を読むと、自分が生き物の1個体に過ぎないことを再認識する。
複雑なようでいて、案外単純な生物に過ぎなくて、
だからまあ、いいんじゃないかな、そういうごちゃごちゃしたことを考え過ぎなくてもって思える。

ヒトの思考が化学式みたいに表せたら、合成も分解も自由にできて楽なのにね。

# by kobaso | 2016-02-03 21:03 | 読書小話

真田丸

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あまり人に話すことはないけれど、戦国時代の話が好きです。
たぶん(というか確実に)父親の影響で、
子どもの頃は、父親のボードゲームに付き合ったり、信長の野望にはまったり、
海音寺潮五郎とか司馬遼太郎とか吉川英治の本を読み耽ったりしていました。
小学~高校まで大河ドラマを家族で観るのが習慣だったりもして、独り暮らしを初めてからも、ぽつぽつと観ていたのだけれど、
最近の大河ドラマはなんかこう、朝ドラっぽくなって、
あんまし観なくなっていました。
だって、某秀吉家臣のお話なのに1分で光秀死んだりしちゃうんだもん。ほのぼのシーンは20分も30分も流すのに。
大河だぞ!大河!これじゃ小川じゃん!
っていうのが最近の大河に思うことでした。

でも今年の大河は違うかもしれない。
主人公真田だし、ちゃんと戦国時代やってくれる気がする。
そう思って、第1話観てみました。

面白い!
勝頼がちゃんとした武将に描かれてる!
小山田の愚将加減を温水さんがちゃんと演じてる(ちょっと弱そうだけど)!
勝頼すぐ死なずにまだ生きてる!
信玄も謙信も氏康も出てこないけれど、2世(この表現は正しくないかも)の生き様を魅せるつくりになっていそうで、
今後の展開にも期待が持てそうでした。
上杉贔屓な僕としては、景勝がどう描かれていくのか楽しみなところ。

ちなみに、僕の好きな大河は利家とまつです。
最近だと風林火山。家康が勘助に見えてしまいそうでちょっと不安。

# by kobaso | 2016-01-10 21:09 | 退屈小話

初漕ぎ

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2016年が明けていました。
今年もよろしくお願いします。

勤め先が今日までおやすみだったので、船乗りで休みが不規則な友人とカヤックを漕ぎにいきました。
前回は荒れ狂う海で、写真を撮る余裕すらなかったので、
今回は秩父の小さな湖でのんびり漕いできました。
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冬は水が澄んでいて綺麗。
でも、まだロールを習得していないので怖々漕ぎになってしまう。
のんびりココアを飲みながらカヤックなんて程遠い。
琵琶湖周航など夢のまた夢状態です。
優雅に漕ぎたい。

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こう、車とかバイクにステッカー貼るの、あんまし理解出来なかったんだけれど、
貼りたくなるね。ステッカーみたいなの。
名前とかもね、つけたくなる。
そう思った時に、
あ、自分ちゃんと男の子だ。よかった。
って感じたんですよ。よかったよかった。
まだ大丈夫だ(何が)。

# by kobaso | 2016-01-05 20:26 | 退屈小話