いつか王子駅で

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いつか王子駅で
堀江敏幸
新潮文庫

「雪沼とその周辺」を読んで以来、堀江敏幸さんにはまってしまって、ひたすら堀江さんの本を読み漁っています。これだけ1人の作家さんに夢中になったのは久しぶりで、中学の時に梨木香歩さん、高校の時に芥川龍之介(現代作家だとさんづけしたくなるのに、昔の作家だとさんづけが気持ち悪いのなんでだろうね)にはまって以来かな。たまに違う作家さんを読みながらも、恐らく最近読んでいる本のうちの3冊に1冊は堀江さんの本です。

「いつか王子駅で」は、品川の大学で時間給講師をする「私」が、忘れものを届けるために印鑑職人の正吉さんを探す中で、ぼんやりと考えたこと・回想・競走馬・古書・童話・下町の人々との交流を淡々と描いた作品。

うーん、要約ってすごく難しいですね。全然面白そうじゃないな、この要約。
淡々と、と書いたのは、これは堀江さんの文章の特徴だと思うのだけれど、ほんとうに淡々としているからです。もしかしたら読み始めてしばらくは辛いかもしれない。でも、気付いたら本の中に包まれているのも堀江さんの文章で、頭の中に風景や回想がすっと融けこんできます。
そして、ラスト数ページで今まで話の本筋とは関係ないと思われたような回想や、人との会話などがつながってくる。
なんだろう、伊坂幸太郎さんのストーリー的なからくりではないんだけれど、読み終わったとき、主人公の心情を考えてみた時にふっとつながる感じ。
伊坂幸太郎さんの話って、僕の中では「ああ、なるほど。こことそこがそうつながるのか!!すごい!!!」みたいな感じなのですが、堀江さんの場合は「あぁ、あのときの話はここにつながってくるのかな、この人が感じているのはこんな感じなのかな。」みたいに、納得するのではではなくて考える余韻がある。なんとなく連続していて、関係しているように思える。伊坂さんの感じをドラマ的なものだとすれば、堀江さんの感じは実生活的なものなのかもしれません。

あと、堀江さんはとても回想を書くのが上手で、ぼんやりと考えていることをとても上手に文章にしてしまいます。また、僕は堀江さんの人との距離のとりかたというか、人との接し方、バランスのとり方に対する考え方や日常の過ごし方に対する考え方がとても好きです。若いうちからバランスだのなんだの言ってるんじゃないと言われれば何も言い返せないし、事実もっとひたむきに生きていくべきなんじゃないかなって思ったりもするんですが。

例えば、
「普段どおりにしていることがいつの間にか向上につながるような心のありよう(中略)いつもと変わらないでいるってのはな、そう大儀なことじゃあないんだ、変わらないでいたことが結果としてえらく前向きだったと後からわかってくるような暮らしを送るのがむずかしいんでな」
という文章とかね。とても好き。

いろいろ書くとネタバレになってしまうのであまり書けないのですが、安岡章太郎の「サアカスの馬」についての話が作中で出てくるんです。
「サアカスの馬」、教科書に載っている(僕は学校で習った記憶はないのですが塾で教えたので話を覚えていました)ので、どんな話か知っておられる方も多いかと思います。

特に勉強もできず、容姿も冴えず、運動もできず、これといった特技もない主人公の「僕」が、ある日サーカスに行く。すると、そのサーカスのテントの陰に赤茶色のやせ細った馬を見つける。「僕」はそのやせ細った貧相な馬と自分の姿を重ね合わせる。馬のことを暗々と感じながら、さしたる興味もなく会場に入りサーカスを鑑賞した「僕」はあっと驚く。なぜなら、先ほどの貧相な馬が、大化けしていたからだ。先ほどの貧相さは全く感じさせないほどの精気で輝き、火の輪をくぐりサーカス団員を乗せて闊歩していた。「僕」は役目を終えた馬に、いつの間にか懸命に拍手を送っていた。

「私」は、学校の国語の授業でされたこの「サアカスの馬」の解釈に納得がいっていない。
「僕」はあえて独りでいるための距離感を作り出しているのであって、「僕」が決して不器用なわけではなく、それどころか複雑な感情を操って人との距離を取ろうとしているのではないか。と「私」は指摘する。また、「僕」がいつの間にか拍手を送った理由、「馬の無言のはげましに対する『僕』の感謝のあらわれ」とみなす定番の解釈にも「私」は納得がいっていない。
では「私」はその拍手をどう考えるのかというと、そのことは作中に直接は示されていないんです。

「僕」は、純粋にその馬に感動したのではないかなと思うんです。
さしたる取柄もなく、貧相な人間を演じることで「独り」という人との距離のとり方をしていた「僕」、他人との距離をとるために他人に自分を見せるという、あくまで自分のための視点しかもてなかった「僕」が、馬ではあるけれど、初めて他者の姿に純粋に引き込まれた。馬の演技に感動して他者のための他者を向いた視点を持つことができた。だから、「いつのまにか拍手をおくって」いたのではないかな。「馬の無言のはげましに対する『僕』の感謝のあらわれ」という解釈では、まだ「僕」の視点は他者ではなく自分ですよね。
どうなんだろう。「私」がそのような解釈をしていたかどうかはわかりませんが、僕はそう解釈しました。ややこしいね。「私」がそのような解釈をしていたかどうかはわかりませんが、kobasoはそう解釈しました。

「私」が「僕」に対して向けている視線にも感じられるのですが、堀江さんはほとんどの登場人物に対してやわらかいスポットライトを当てていて、とても人間に対する愛情を感じます。ものすごく悪い人というのが存在しないんです。だからかな、堀江さんの本は読んでいてとても心地よくなる。
いつのまにか自分まで、そのやわらかいスポットライトの光が届くところにいるような気分になるんです。
by kobaso | 2011-08-27 00:32 | 読書小話
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