カテゴリ:読書小話( 47 )

楽しい夜

b0180288_14484803.jpg
楽しい夜 / 岸本佐知子 編訳 / 講談社

「テオは眠っているとも生きているともつかないはざまに落ち込んでいた。もう充分いろいろなものを見た。ひどく疲れていた。(中略)体に眠りが残って手足をチリチリしびれさせ、いっそそれがまた自分を飲み込んでくれればいいのにと、来る日も来る日も切に願った。」

岸本佐知子さんが訳す話は、狂った話が多い。
自分の身体に蟻を移植させた人の話。
狂犬病への憎しみが肥大して公然と動物の虐殺が行われていく話。
山が巨人になって愛憎劇をする話。
読み終えた後には、ひどく奇怪な、妙な、おもしろい夢を見た時の気分になる。
でもそういうのって、どこがどうおもしろいかとか、上手く表現できないよね。
自分の見た夢とかを面白おかしく話せる人になりたい。

最近のこのブログ、レビューがレビューとしての役割を果たせなくなっている感が否めませんね。
何かを考え込むということが少なくなって、「まあいいか」で済ませてしまうんです色々。最近は。
悩まなくなったけれど、それっていいことなんだろうか。

良く家に遊びに来ていた男女の友人ふたりが、山口に行って同棲を始める。
別の友人男女ふたりも、同棲をはじめるみたい。
(淋しいとかそんな気持ちは微塵もなく)みんな幸せになっていくなあと、日の当たる縁側で寝そべる犬みたいな気持ち。

風は強いけれど東京は良い天気です。
無音の部屋で、久しぶりにただぼうっとする週末。
この家に人が集まることは当分ない。
嫌なことがあったと言って人がこの家に来ることも当分ない。
いいことだな。

by kobaso | 2016-04-17 14:48 | 読書小話

生命と記憶のパラドクス

b0180288_18402687.jpg
生命と記憶のパラドクス/ 福岡伸一 / 文春文庫

『彼らは異口同音に述べている。飢餓や渇きが人を殺すのではない。その前に孤立と絶望が人を殺すのだと。』

小説であれエッセイであれ、本を読んでいると、時折、本と自分の経験や記憶がリンクすることがあります。
好きなものであったり、具体的な状況であったりもするし、ぼんやりした風景の時もある。
そういうものに出会った時は、まるで趣味の会う友人を見つけたかのように嬉しくなる。
この本には、そんな嬉しくなる瞬間が満載でした。

殺伐とした研究室の風景(もちろん、そこでたち振る舞う様子は僕と福岡さんとで雲泥の差があるけれど)、東京で行われた各展覧会、生物保全への違和感、ファーブル、新田次郎、日高敏隆、多田冨雄、山崎まさよしetc...
まるで、福岡さんに「これ観たとき(読んだとき、聞いたとき)、こうだったよねぇこれさあ…」と話しかけられているかのように、
自分自身の嗜好とか記憶とかにリンクすることが多くて、びっくりしました。

何年か前に(もう何年前なんだろう)六本木で開かれた、
佐藤雅彦さんの「"これも自分と認めざるを得ない"展」についても書かれていました。懐かしい。
久しぶりに、「自分が自分であることの証明」やら、「個性」やらについてぐるぐるしました。
僕は仕事が営業職なので、初対面の人と話すことが多く、
そういう時、大抵、「何県出身」だの「何大学出身」だのと、
属性の話をします。
仕事なので、自身のことや相手の込み入ったことを知る必要もないということもあるけれど、人と会ってその人を知ろうとした時に、
僕たちは大抵、属性のベン図をどんどん重ねていって、その人を知ろうとします。
そうして浮かび上がるものは、果たしてその人の「個性」と言えるのか?

「いやいや、個性っていうのはその人の考えかたとか、経験とか、その人自身にフォーカスしたものじゃないと」
って思うかもしれない。けれど、それだって結局のところ属性を重ねていることに他ならないと思うんです。
似た考えをもった人だってたくさんいるし、似た経験をした人だってたくさんいる。

「自分が自分であることの証明」になる「個性」なんて存在しない。
DNAレベルで見たって、変わりはない。
むしろ、生物学的に細かく見ればみるほど、個人はたんぱく質の集合体になって、個性は消失する。
それでも、「自分は自分だ」と言いたくなる気持ちが拭いきれないのも確かです。
それが、「個性を伸ばせ」という僕たちゆとり世代の受けてきた教育に起因するのかはわからないけれど。
ただ少し、あまりに「個性」を重要視しすぎると身動きがとれずに息苦しくなるのも事実です。
時には「代わりはいる」くらいの気持ちで、没個性的に自由になれたら楽だなと思います。

何年か前もわからなかったけれど、今もよくわからない。
個性ってなんだ。

…そして福岡さんの本の話しはどこへ行ってしまったのでしょう。
ごきげんよう。


by kobaso | 2016-02-07 18:39 | 読書小話

自分では気づかない、ココロの盲点

b0180288_21042891.jpg
自分では気づかない、ココロの盲点 / 池谷裕二 / 朝日出版社

『脳は理由を問われると、「作話」します。しかも、でっちあげたその理由を、本人は心底から「本当の理由」だと勘違いしてしまいます。「なぜその食べ物が好きなの?」「なぜその職業に就いたの?」「なぜこの人と付き合っているの?」』
『いつしか「自分」という主体は脳活動という化学反応の渦潮に飲み込まれて消えてしまいます。どうやら、ヒトという生き物は、自分のことを自分では決して知りえない作りになっているようです。』



自分が自分であることに疲れたり、
失敗に対して自分が自分にした言い訳に嫌気がさしたり、
自分の感情の出所がわからなくなったりすること、あるよね。
僕はあるんです。
特にここ数年は。
この本を読むと、自分が生き物の1個体に過ぎないことを再認識する。
複雑なようでいて、案外単純な生物に過ぎなくて、
だからまあ、いいんじゃないかな、そういうごちゃごちゃしたことを考え過ぎなくてもって思える。

ヒトの思考が化学式みたいに表せたら、合成も分解も自由にできて楽なのにね。

by kobaso | 2016-02-03 21:03 | 読書小話

子供はわかってあげない

b0180288_20144705.jpeg
子供はわかってあげない / 田島列島 /講談社

中学のころ、よく電話をする友人がいた。
別に何の用事もなく話すうえに、僕もその友人も口下手なので、
5分間ただぼんやりと無言で携帯を耳にくっつけてるだけなんていうのも、ざらにあった。
ただその友人は少し独特な思考をする人で、
思春期真っ只中の男子ふたりの会話なのに、女の人の話は全くでてこなかった。
話す内容といえば、
「自分自身以外の人間は、本当に思考して動いているのか(自我があるのか)?」とか、そういう、哲学的だけれど、中学生じみた、
ちょっとどこかが無図痒くなることばかりだった。

20になった人に、20になって何か変わったかと聞くと、
大抵、なにも変わってないと言う。
30になった人に、30になって何か変わったかと聞いても、
同じく、何も変わってないと言う。

今、その友人に、
「あの時考えていたみたいなこと、今でも考えてしまう時があるか」って、聞いてみたい。
僕はたまに、無図痒くなるようなことを考えたり、
思ったりしてしまう。
でも、無図痒くなるから言わない。
たぶんきっと、いろんな人が、そうなんだとは思う。

本の中の人や、漫画の中の人は、
無図痒いことを、無図痒くなく、さらっと言ってしまうから、
すごくうらやましい。

この季節になると、訳もなく思案気味になるようになってしまって、ふとした時にまわりの人に、
「大丈夫か?元気か?」って心配されてしまうから、
なんだか申し訳なくなる今日この頃です。
くだらないことばかり考えて、
今日も元気に河童の川流れやってます。
ふと淋しくなったりもするけれど、そんなの社会はわかってあげない(言いたいだけ)。

by kobaso | 2015-11-22 20:13 | 読書小話

忘却のサチコ

b0180288_22415804.jpg
忘却のサチコ / 阿部潤 / 小学館

今まで僕の経験してきたストレスを10段階で表現すると、
ストレス7くらいまでなら、おいしいものでなんとかなる。

今日も、友人と行きたかった本屋さんのイベントに行って、
公園でぼんやりして、喫茶店でおいしいハンバーガーを食べて、
夜は日本酒のおいしいお店で飲んで、今とても幸せ。
人間は単純なものです。

このマンガの主人公はすごく魅力的。それは、ごはんをすごくおいしそうに食べるから。
今日友人に、「どういう人がタイプなの?」って聞かれてうまく
答えられなかった(いつもそう)んだけど、この漫画読んでわかった。
「おいしいものをおいしそうに食べる人」だ。
人の気持ちなんてわからないし、あてにならないものだけど、
おいしそうに食べる人の顔を見ると、「あ、信じたいな」って思うよね。

季節は秋。
今年は秋刀魚が不漁みたいだけど、キノコは豊作らしい。
キノコの炊き込みご飯がたべたい。
あと、大ぶりのキノコを、バターと醤油で炒めたやつ食べたい。
食べましょう。だれか。







by kobaso | 2015-10-03 22:41 | 読書小話

八つ墓村

b0180288_20491789.jpg

八つ墓村 / 横溝正史 /角川文庫

『八つ墓村というのは、鳥取県と岡山県の県境にある山中の一寒村である。』

仕事で岡山県に来ています。
岡山の県南の方は、とても栄えていて、少し驚きました。滋賀県と同じような田舎だと思ってた。
まず電車が1時間に1本じゃない。たくさん走ってる。負けました。

これからたくさん中国地方に来ることが増えます。
「八つ墓村」は、そのことを考えてか考えないでかは知らないけれど、
出張のお供にと、人が薦めてくれた本。
人から薦められた本を素直にすぐ読むのも久しぶりだし(今までいろんな本を薦めてくれたお友達ごめんなさい)、
長編小説を読むのも久しぶりだし、
ザ・ミステリーって感じの本を読むのも久しぶりでした。

ミステリーって感想書くの難しいね。
書いたら色々ぜんぶネタバレになっちゃう。なのですごく抽象的なことを書こう。

たぶん、お話しとしてはものすごく簡単。
けれど、簡単なものがどんどん複雑になっていって、いつの間にか訳が分からなくなっている。
高校時代に、国語の先生が、
「現代文の問題を解いていてわからなくなったら、最初に立ち返ってみるんや。
人が言いたいことや考えることは実のところそんなに難しいことやない。阿呆になって単純に考えてみい。」
って言っていたのを思い出しました。
探偵の金田一は、最初から犯人がわかっているんだけれど、
この小説は金田一視点では語られないから、読者はそのことを知らない。犯人もわからない。
けれど、小説の初めの方に、しっかり犯人が分かるようなことが書いてある。
でも、それがあまりに簡単なことなので、さらっと流してしまう。
なんか、そういうことって多いよね。
単純に考えればわかることだし、最初から答えなんて見えているのに、
そのことに気付こうとせず、いろんなところを行ったり来たりして、いつの間にか訳が分からなくなってしまう現象。
これからその現象のことを「八つ墓村現象」と呼ぶことにしよう。

金曜の夜に、休みの日に見るためのDVDを借りにレンタルビデオ屋さんに行く。
すると、5枚で1000円セールが開かれている。新作も可。
最初は2枚だけ借りるつもりだったのに、2枚と5枚で値段はそんなに変わらない。
悔しい。
ええい、どうせなら5枚借りよう。
でも何借りよう。うーん。
うーーーん。うーーーーーーーん。
2時間くらい経過して、やっと5枚を選ぶ。
借りたころにはもう深夜になっていて、金曜日にはもう観られない。
土曜日は予定が入ってるし、日曜日には1本くらいしか見られない。
平日に観ようにも、平日は仕事から帰ったらバタンキュー状態でDVDを観る余裕なんてない。
気付いたら1週間たっている。
結局観たDVDは1本。1本だけ借りればよかった。余計なこと考えるんじゃなかった。

これが八つ墓村現象の一例です。
伝わりませんか。そうですか。
くだらないね。

横溝正史が好きなら、宮部みゆきの時代物のミステリーとか、たぶん好きだと思います。
高校時代、宮部みゆきの時代物ミステリーがすごく怖くて、ゾクゾクしながら読んでいたんだけれど、
今読んでもその感覚、味わえるのかな。
by kobaso | 2015-09-15 21:37 | 読書小話

アメリカひじき・火垂るの墓

アメリカひじき・火垂るの墓 / 野坂昭如 / 新潮文庫

最高気温は37度を超え、街には浴衣を着た人が歩き、
窓の外からは蝉の声が聞こえます。酔っぱらって朝目覚めたら、枕元に丸々1個の大きなスイカが転がっていました。いつの間にか夏ですね。

学生たちは夏休みの時期です。東京駅で、小さな子どもの手を引くおじいさんやおばあさんの姿がちらほらと見られる時期になりました。
母方の祖父母は埼玉に住んでいて、僕は小学生のころから、夏休みになるたびにひとりで新幹線に乗って、祖父母の家に行っていました。
祖父はよく本を読む人だったので、祖父母の家には本がたくさんありました。ほとんどボロボロだったけれど。
中島敦、井上靖、野坂昭如、井伏鱒二、永井荷風、有島武郎…
思えば、中学高校で変に昔の本を読むようになったのは、祖父の影響があるのかもしれません。
耳の悪かった祖父とは、ろくにしっかりと会話を交わせた記憶がないけれど、
僕の好きそうな本を、何も言わずに枕元に置いてくれたりする、そんな祖父でした。
小学生に養老武司だとかワーズワースを薦めたりする人だったけれど。
頑固で、筆談は頑なに拒否したし、ティッシュペーパーのたたみ方とか、お箸の置き方とかに厳しい人で、正直なところ、ちょっと苦手だななんて思った時期もあるけれど。

先日、夏の気配がする蒸し暑い日に、祖父は亡くなりました。
ここ数年は、大好きなお酒も飲めず、本も読めず、病院に行くたびに紙みたいに痩せていって、
食道癌の術後は声すらろくに出せなかった。
そんな祖父のもとに、祖母はほぼ毎日通って、ただ眠る祖父を見ていた。
祖父が亡くなった時に、祖母は棺桶に入ったその死に顔を見て、「笑ってる。よかったね。笑ってるよ。よかったね。」
と何度も繰り返す。
毎日のように大声で喧嘩していたふたりだったけれど、何十年も一緒に過ごすというのは、
途方もないことなんだなと思いました。
祖父は幸せ者でした。

祖父と、もう少し本の話とか、したかったな。
祖父に読んでほしい本もあったけれど、お勧めすることができないまま、逝ってしまった。
祖父が亡くなった日、祖父にもらったこけしの前にお酒と、祖父に読んでほしい本を置いて、ぼんやりしていました。

何年も前の今頃、僕は祖父の隣で、「アメリカひじき・火垂るの墓」を読んでいました。
次の日、朝起きると、机の上には「きけわだつみのこえ」が置いてありました。
今日のような暑い日で、意味もなくついているテレビからは甲子園の歓声が聞こえていました。
祖父は何も言わず、新聞を広げていました。
新聞読むならテレビ消せばいいのにな、なんて思いながら、
祖父の隣で僕は本を読み始める。そんな、夏の日でした。
by kobaso | 2015-07-26 18:14 | 読書小話

イエロー・バード

b0180288_2225531.jpg

イエロー・バード / ケヴィン・パワーズ 著 佐々田雅子 訳 / 早川書房

『おまえはきれいな乾いた場所を見つけて、できる限り傷つかないようにしながら嵐が過ぎるのを待てばいいのだ。そして、眠りについて、もう目を覚まさなければいい。あとは野となれ山となれだ。』

どこまでもどこまでも主観的な視点で描かれる。
ひとりの人間が見える視界は狭く、全体なんて見渡せないけれど、それでも全体を感じて、その中でもがく。

この本はイラク戦争に従軍した兵士を主人公にした小説。
僕が住んでいる国が日本だからか、小さな頃から、敗戦国側の小説を通してしか、戦争をみてきませんでした。
でもなんでだろう。日本軍が中国や朝鮮半島や東南アジアに行って、人を殺していく苦しみを描いた作品って、あまりない気がします。僕が知らないだけかな。日本軍が困窮しはじめてからの作品はたくさんある気がするのだけれど。

この本の中には、詩的な表現がたくさん出てくるけれど、きれいな場面なんてない。
けれど、どうしようもなく汚い場面もない。
人間、嫌な記憶は忘れようとするから、記憶に補正がかかっていくものです。
この小説は、主人公の記憶を辿るように進んでいくのだけれど、その記憶の補正のかかり方が、妙にリアルで、補正がかかっている方がかえって嫌なものが迫ってくる。

164ページと186ページが、すごく苦しかったな。
こんなの、なんでやめられないんだろうって、小学生が抱くような疑問を改めて感じました。
社会の流れを作っているのは人間なのに、流れを人間が止めることが、何でできないんだろう。
まるでフェロモンを辿って否応なしに隊列を作ってしまう蟻みたい。

けれど、この本を読んだ後に攻殻機動隊を楽しんで観れてしまうくらいに僕は、
戦争を知らない。
by kobaso | 2015-06-24 22:45 | 読書小話

b0180288_215641.jpg

音 / 幸田文「台所のおと」 川口松太郎「深川の鈴」 高浜虚子「斑鳩物語」 / ポプラ社百年文庫

『ああ、いい雨だ、さわやかな音だね。油もいい音させてた。あれは、あき、おまえの音だ。女はそれぞれ音をもっているけれど、いいか、角だつな。さわやかでおとなしいのがおまえの音だ。その音であきの台所は、先ず出来たというもんだ。お、そうだ。五月には忘れず幟をたてな、秀がいるからな、秀が。ああ、いい雨だ』

東京では、桜散しの雨がしとしとと降っています。今週は春雨の週のようです。
新しく勤め始めた会社の通勤路には、長い桜並木があって、先週、それはそれは見事な桜吹雪を見ることができました。
「散るという 飛翔のかたち 花びらは ふと微笑んで 枝を離れる」
という俵万智さんの短歌が好きで、いつもこの時期になるとその歌を思い出すのだけれど、先週の桜吹雪はそれでいうと、微笑むどころか爆笑してました。桜。桜が爆笑してるっていうと風情が全くなくなるね。ニホンゴムズカシイネ。

僕の勤める会社は今の時期が最盛期なので、朝は7時半くらいに会社につくように家をでます。
そうすると、住宅街にある会社までの道のりには、朝のすっきりとした静けさがあって、それがとても好きです。
僕は静けさが好きです。でも、その静けさは、無音ってわけじゃない。
鳥の鳴き声とか、水の音とか、木の葉が揺れる音とか、雨の降る音とか、そっとした音のある静けさ。
この本には、その静けさがあります。

ポプラ社の百年文庫は、どれも面白くて、大好きです。

本屋さんで見かけたら、ちょっと手に取ってみてください。
by kobaso | 2015-04-05 22:16 | 読書小話

昨日のように遠い日

ご無沙汰しております。
しばらく書けていませんでした。12月初めに体調を崩し、1月2月は修論に追われ、3月初めは地獄の訓練と言われる某管理者養成学校へ研修のために入校していたため、ここを更新する余裕がなかったのですが、そろそろぼちぼち再開していこうと思います。

b0180288_22395547.jpg

昨日のように遠い日 少女少年小説選/ 柴田元幸 編/ 文藝春秋
「ぼくはもう二度と - ほんとうに二度と - 去年のぼくほど「いい子」にはなれないことを感じとったのだ。」

雑誌MONKEYを監修している、翻訳家の柴田元幸さんが、少年・少女を主題とした海外小説を集めてまとめた短編集。少年少女のお話ばかりなのだけれど、児童文学というよりも、どちらかというとこの本は、その時代を失ってしまった人が読む本だと思う。
つらいことも苦しいことも、楽しいことも、その時感じていることはすべて思い出になってからしか消化できない。
それらを感じ、体験しているその場その時では、必死にそれらの出来事・感情を咀嚼している段階でしかない。
この本は、咀嚼している最中の人のための本というより、消化してしまった人が、その味を思い出すかのように読むための本だと、僕は感じました。

僕は、長期的な記憶力があまり良いほうではないので、昔の思い出みたいなものはすぐ風化して、普段の生活の中では忘れてしまっています。
なので、「あのときああだったよね」と人に言われても、そうだったかなとぼんやりしてしまって、なんだか申し訳なくなることもしばしばです。
ただ、たまにデジャビュのように昔のことを思い出すことがあって。それは、夢で昔の知人に会ったときとか、本のなかに昔の出来事をフラッシュバックさせるようなフレーズを見つけたときです。
この本の中には、それがたくさんあった。
「すこしずつ変わっていってしまう自分のこわさ」だとか、「自分のなかで曲解して記憶してしまったもの」とか、「尊敬する人への感情や葛藤」だとか。
一遍の小説を読むたびに、ひとつひとつの自分の過去をたどるようで、とても新鮮な感覚を味わうことのできる本でした。過去は遠い。けれど、それは昨日のように近くもある。けれど昨日は手の届くことのない遠い場所。

この本を読んだ人と、どの話が一番好きだったかみたいな話がしたいな。
ぼくは「灯台」が一番好きでした。

もうすぐ春です。
by kobaso | 2015-03-14 23:00 | 読書小話