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カイミジンコに聞いたこと

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カイミジンコに聞いたこと
花井哲郎
どうぶつ社

生物学者の花井先生が考えた日々のこと、大阪学院大学広報誌に掲載されていた文章をまとめた随筆集。

この本は、本屋さんでは生物コーナーに置いてあることと思います。
勉強のため、本屋で文献を調べている時に、ふと目に留まりました。
嘘です。
川上弘美の「大好きな本」の中で紹介されていました。「大好きな本」の中では、川上弘美の平易な、けれども感覚的に浸透してくる文章で、様々な本がとても魅力的に紹介されています。知らない本がたくさんあるのですが、中には自分の好きな本も混じっていたりして、その本が褒められていたりするとますます川上弘美を信用してしまいます。川上弘美が面白いという本なら面白いに違いないと思って、その本を探しに書店へと向かうのですが、「大好きな本」の中で紹介される本の中には、なかなか書店に置いていない本も少なからずあって、そうなると休日1日を費やして東京中の書店を廻る羽目に陥ります。その上入る書店の先々で関係のない本も買ってしまったりします。困ります。川上弘美さん何とかしてください。

いつの間にか川上弘美の本をレビューしてしまっていましたね。
この本、タイトルからマニアックなミジンコに関する本かと思われるかもしれませんが、そうではありません。
もちろんミジンコ(この本を読んだ後だと「美人娘」と書きたくなる)の話も大いに出てきますが、分類学の話、研究についての話も出てくるし、大学での教育論について語ったかと思えば、落語や古典、志賀直哉や内田百閒も登場し、はては電車の中での人々の行動について考察されたりします。
花井先生の日常を眺める視点が、とても面白い。どれも簡単な文章で語られているのだけれど、こんなことを考えられるのかと驚くことばかりです。

一体、花壇に生え残ったカタバミから、雑草を抜く清掃係の心情を推し量ることのできる人が、どれほどいるでしょうか。句読点から生物の分類学に想いを馳せる人は。ゴカイの糞からエメラルドグリーンの東京湾を夢想する人は。

花井先生の文章には、余裕があります。その余裕は精神的な余裕さも反映しているように思えます。
こんな大人になりたいなと思います。日常の些細なことから、色んなことを、くだらないことも含めて考えられるような、大人になりたいです。

ミジンコを一度でも愛しいと感じたことのある人はもちろん、生物に興味のある人、研究に興味のある人、教育に興味のある人、本の好きな人、そんなものに全然興味の無い人に、お薦めです。
書店を廻り廻って手に入れたこの本ですが、明日から、中公新書から発売されるようです。買ってから知りました。
心に余裕をもって生きたいものですね。
by kobaso | 2012-08-22 17:23 | 読書小話

花火

たっちゃんは夏祭りが好きだった。
僕はあまり夏祭りが好きではなかった。嫌いでもないけれど好きでもないので、今でもあまりだれかと夏祭りに行こうとはしない。
けれど、たっちゃんと行く夏祭りは、少し好きだった。たっちゃんに夏祭りにいこうと誘われると、いいよと言ってついて行った。

小学生だったふたりは、あまりお金を持っていなかったので、僕は綿あめを、たっちゃんはリンゴ飴を買い、ふたりで何度か射的をすると、それだけで財布の中身はなくなってしまった。あとはダラダラとお祭りの中を歩いて、餅まきに参加して、日が暮れる前に家に帰った。たっちゃんは花火も好きだと言っていたけれど、ふたりとも門限があったので花火を見に行くことまではできなかった。

たっちゃんは野球も好きだった。大柄なたっちゃんがバットを持つと、怪力な4番バッターのように見えた。たっちゃんがファーストミットを持つと、どんな球でも受け止めてくれる頼もしいファーストに見えた。実際、僕が暴投をしても、ある程度の球なら器用に受け止めてくれた。すっぽ抜けたトンチンカンなボールが、ファーストミットの中にすうっと吸い込まれていった。たっちゃんは本当に野球が好きだったのだけれど、心臓がよくなかったので、少年野球団に入ることができなかった。僕は少しの間だけ少年野球団に入っていた。たまにたっちゃんに少年野球のことを聞かれた。たっちゃんに少年野球の話をすると、いつも「そうかあ。」と言って笑いながら、ただでさえ細い目をさらに細めた。ぼくはたっちゃんにあまり少年野球の話をしたくなかった。たっちゃんに対する申し訳なさとかそんなものではなくて、いつまでたってもうまくならない自分が情けなくなったから。僕は少年野球団を辞めた。その話をした時も、たっちゃんは「そうかあ。」と言って笑いながら目を細めた。
よくふたりでキャッチボールをした。たっちゃんの家にはバッティングネットもあったので、ふたりでよくトスバッティングもした。たっちゃんはバットの芯でボールを捉えた時の心地いい音を響かせながら、ボールをはじき返していた。僕のバットからは、くぐもった間の抜けた音ばかりしていた。たっちゃんは、バットじゃなくてボールを良く見て打つんだと、アドバイスをくれた。
たっちゃんは、豪快なバッティングをする清原選手が好きだった。僕はどんなときでもしっかりバントを決める川相選手が好きだった。

飽きると、たっちゃんの家に上がった。たっちゃんの家は重厚な木でできていて、床も壁も天井も黒くピカピカと光っていた。目から入ってくるその木の冷たい感じは、鼻から入ってくる木の甘いにおいで打ち消された。
たっちゃんのお母さんは、必ずと言っていいほどおやつにキムチチャーハンを出してくれた。キムチチャーハンはたっちゃんの大好物だった。僕には少し辛すぎたので、こっそりたっちゃんにキムチチャーハンを預けた。おいしそうにキムチチャーハンを食べるたっちゃんを、三ツ矢サイダーを飲みながら眺めていた。三ツ矢サイダーは良く冷えていて、甘くて好きだった。

たっちゃんと遊ぶ時は、たいていふたりきりだった。たっちゃんも僕も、あまりしゃべる性質ではないので、沈黙の時間が多かった。黙々とキャッチボールをしたし、黙々とゲームをした。けれどたっちゃんの顔はいつも優しく笑っていて、僕はその顔を見るのが好きだった。静かな、落ちついた空気を、他の友人が入ることで崩されてしまうことが、少し惜しくも思っていた。

小学校を卒業して、僕は大部分の友人が進学する中学とは別の中学に進学した。たっちゃんともあまり会わなくなった。犬を飼い始めてから、その散歩の途中でたっちゃんに会うことはあったけれど、やあと挨拶をするだけだった。

大学に入って、東京にすむようになってからは当然のことながらますますたっちゃんに会わなくなった。たっちゃんは地元の有名大学に進学していた。
大学2年の夏、帰省した時にたっちゃんに会った。その日は東京に戻る当日で、僕は犬の散歩をしていた。
たっちゃんは道路の向こうから、犬を連れて歩いてきた。久しぶりと挨拶をしてから、珍しくたっちゃんが「今日少し話できへん?」と聞いてきた。僕は「今日はもう東京に帰らなきゃ。」と言った。別に東京に戻る日を延ばしてもよかったし、話なんて犬の散歩をしながらでもできたのに。たっちゃんは、「そうかあ。まあ、また会ったときやな。」と笑って、目を細めた。

翌年の夏、たっちゃんは大学の友人たちと花火を見に行ったその夜に、心臓発作で亡くなった。
僕はずっとそれを知らなかった。それを知らずに出してしまった年賀状の返事に、たっちゃんのお母さんの文字でそのことが書かれていた。

昨日、大学の近くで花火が上がっていた。
そういえば、たっちゃんがどんな花火が好きなのか聞いたことがなかったなと思った。
何も、聞けていなかったなと思った。
by kobaso | 2012-08-12 15:21

ダンサー・イン・ザ・ダーク

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1年か、それ以上前か忘れたけれど友人に薦められた映画を今日ようやくのこと観ました。

映画の中で何度も何度も主人公の大好きなミュージカルの空想が出てきます。工場で働いている最中。友人に盲目であることがばれた後。人を殺してしまった後…。

「ミュージカルの中では怖いことは何も起きない。」「誰もが全てを受け入れてくれる。」

主人公の本心の笑顔が見れたのは、ミュージカルの中と息子が自転車にのる姿を見た時だけでした。

主人公は、少し頑な過ぎるところがあって、結果的には息子のお金のために人を殺してしまうし、息子のためだと思って、自分の命を延ばす手段を決して選ぼうとしない。暗い現実と、極めて楽観的な空想世界との状況があまりにズレすぎていることもあって、主人公に狂気すら感じてしまうこともある。けれど、主人公が狂人かというと、決してそういうわけではないと思います。
彼女の空想は、そうせざるを得ない彼女なりの正当防衛。独りで闘うための、唯一の武器。
強く、人に迷惑をかけずに生きなければならないという想いが、彼女を苦しくさせていたように思います。

それなら、彼女が空想の中に逃げなければならないほど孤独だったかというと、決してそういうわけではないとも思います。キャシーはよく怒るけれど、暖かな怒りだし、ジェフも幾分空気を読むことができていないけれど、彼女を愛していたし、工場長も彼女の転職先を探そうとしてくれている。けれど、彼女はそれに甘えようとはしない。甘えようとしないというよりも、甘え方がわからなかったのかな。人に優しくされた時、彼女はひどく困ったように笑っていました。

「目が見えないんじゃないのか?」
「見るべきものなどあるのかしら?」

見るべきものは、登場人物全員にそれぞれ山ほどあるはずなんだけれど、それなら何を見るべきだったのか、はっきりと言うことができません。
闇の中でもミュージカルを思い描くことはできるけれど、それだけでは何にもならない。
彼女は息子にとって必要なのは、母親ではなく目だと言う。

空想の世界に浸ってしまう彼女だけれど、彼女自身、空想の中から、闇の中から踊り出たくて仕方なかったのかもしれません。
by kobaso | 2012-08-12 01:04 | 映画小話