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恋の渦

最近は映画を観る機会に恵まれて、「そして父になる」「恋の渦」「ヒミズ」「風立ちぬ」を観ました。
「そして父になる」はまたDVDになって、もう一度じっくりと観てから感想をまとめたいと思います。
「ヒミズ」はずどーんときて、感想が書けそうにないし、「風立ちぬ」はあんまし書くことがないような気がするので、今回は「恋の渦」の感想を書きたいと思います。

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とある“部屋コン”に集合した男女9人。やって来た1人の女の子のビジュアルに男たちは全員がっかりする。何とか場を盛り上げようと頑張るも全くうまくいかず、微妙な空気を引きずったままコンパは終了した。しかしその夜から、恋心と下心、本音とうそが入り乱れる恋愛模様が展開していき……。

いわゆるDQN(不良など、"粗暴そうな風貌をしている者"や実際に"粗暴な者"、また"非常識で知識や知能が乏しい者"を指す)たちの恋愛模様を描いた作品。
自分の身の回りの世界とは全く関わりのない世界のお話のようであるけれど、観ているうちにそう遠い世界のお話ではない気がしてくる、というよりもこれに似たようなこと、自分たちの世界にもあるんじゃないかなぁと思えてくる作品。

この映画は、前に1度この映画を見たことのある女友達のNさんに連れられて、男友達のY君(モテる)と一緒に観に行ったのだけれど、反応がばらばらで面白かった。
僕はこの映画をほぼコメディとして観ていて、たくさん笑ったりしながら、一般的な恋愛ってこんな感じで進むのかな。どんな恋愛でもやっぱり女の人怖いな。男は所詮コロコロされるしかないな。タカシ(好きな人と全然連絡が取れない哀れな人)の気持ちはなんか同情というか、共感するところあるなぁなどなど思いながら、楽しく映画を見終えたのですが、ふと隣のY君の顔を観ると、苦笑と苦渋が顔面に張り付いたような顔をしていて全然しゃべれない状況になっていました。やっとこさ、絞るようにして言った一言が「これは映画にするもんじゃない…。」でした。観ていて、おもしろいけれど、面白くない状況に陥ったようです。
それを観てNさんはニタニタ笑っていました。
僕はあまり映画の中の男の人たちの心情というか行動というかに共感できる部分は無かったのだけれど、他の男の人は違うようです。
どういうところに共感したとかはネタバレになってしまうから書けないのだけれど、笑って観ているうちに、映画の中に自分を見出す気分になってくるのだそうな。

家に帰ってから、NさんとY君と、家に遊びに来たAさんと映画の話やらなんやらをしているうちに、なぜ僕には彼女ができないのかという話になりました。どうやら僕の恋愛観というか女性観(?)は一般的な男の人と違っているのではないかということになってきました。
世の男性はふとした時に恋に落ちるらしいです。恋愛対象は女性全般。そこら中に恋愛対象がごろごろしているらしいんです。好きな人だってたくさんできるし、そのうちの誰かうまくいった人と付き合うのが普通なのだそうな。
僕は、うーん。。。女性全般が恋愛対象にはならないし、好きな人はいても多くて2人以上はできないし。。。「好き」に要求するレベルが高いのか…?
難しいなぁ。

いろいろ指摘された後、AさんとNさんは口をあわせてこう言いました。

「kobasoくんにはギラギラとムラムラが足りない!」

ギラギラとムラムラ、どこで売ってますか?
by kobaso | 2013-10-19 21:17 | 映画小話

なべかい

大学の気の合う仲間が集まって、「鍋会」というものを開いています。
もうかれこれ5年目。
毎回楽しいのだけれど、最近はもうこれが最後かなと、ちょっと寂しくもあります。
気が合うって、それだけですごいことだね。

動画(うまく見られるといいけれど)
by kobaso | 2013-10-17 23:28 | 退屈小話

生命の逆襲

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生命の逆襲 福岡伸一 朝日新聞出版社

「生物と無生物のあいだ」や「動的平衡」などの著書でおなじみの福岡先生の本。
nihoさんのお薦め本です。nihoさんありがとう。
この本は、「遺伝子はダメなあなたを愛してる」(リンクはnihoさんの読書録にとびます)の続編にあたる本です。

この本に書いてある知識自体は、生物好きの子ども時代を過ごしてきた人や、高校の生物・化学が好きだった人ならば知っているであろう内容です。
けれど、「知っている」ことと「常に覚えている」ことは違います。
この本を読んでいると、自分の引き出しの奥にしまわれていたワンダーランドが次々と引き出されていく感じがします(それとも、単に僕が忘れっぽいだけなのか)。
あぁ、こんなこと不思議に思ってたなぁ…とか、あぁ、これ図鑑で調べたなぁ…先生が言ってたなぁ…本で読んだなぁ…この生き物見た時びっくりしたなぁ…とかとか。まるで少年期に引き戻されていくような感覚になる。
昔は、色んなことに興味をもって、色んなことに感動してたのに。しみじみ。

たとえば、シーボルトミミズが出てくる章があるんですが、みなさん、シーボルトミミズって見たことありますか。
あれ見たらひっくり返るよー。
僕は山の中の神社で見つけました。小学生の時に。父親も一緒だったかな。
最初は、ヤマナメクジっていう、超ビッグサイズのナメクジを境内で発見したんです。
手のひらサイズのナメクジ見つけて、父親とワイワイやってるその横を、今度は巨大なにょろにょろがうごめいていたんです。青黒くぬめった、シーボルトミミズが…。
そのときは、ヤマナメクジもシーボルトミミズも知らなかったので、ここはお化け神社かと思いました。
衝撃的でした。
あんなにグロテスク(シーボルトミミズさんごめんなさい)なものを、「これ、なんて生き物ですか」って福岡先生に聞いちゃう一般人のお母様すごい。きっと子どもとふたりで「新種?新種??」なんて言って盛り上がったんだろうなぁ。
そういえば、小さい頃新種を探し出すのってひとつの夢だったりしませんでしたか?僕の周りには未だに新種を探してたり探しだしちゃったりしてる人がいますが…。話がそれてしまった。

「話がそれる」というと、この本を読んでいるとついつい思考が脱線してしまうんですよね(良い意味でです)。
福岡さんの文章はとてもわかりやすくて、面白い。けれど、全てを説明しないところにまた奥深さがあります。

たとえば、先ほどのシーボルトミミズの章の最後には、ブラーミニメクラヘビの絵が挿入されています。
何故、シーボルトミミズの章なのにメクラヘビ??と思いませんか。
たぶん、僕と同じ大学に通っている人なら、「ははん、そういうことか」と思うことでしょう。
メクラヘビ、ヘビといいつつ実は姿かたちはミミズそっくりなんです。
っていうか、その辺にいてもミミズにしか見えない。
僕の友人に変人がいて、航海で八丈島に上陸した際にメクラヘビを探しに行くというのでついていったのですが、友人が嬉々として捕まえるメクラヘビがどうしてもミミズにしか見えませんでした。興味のある人は(ミミズに耐性のある人は)「メクラヘビ」で検索すると画像がたくさん出てきます。あと、その際友人は「サソリモドキ」という生き物も捕まえていて、これもまた奇怪な生き物だったんですが、この話をしていると福岡先生のお話を置いてけぼりにしそうなのでやめておきます。

他にも、「蝶は何故あんな模様をしているのか」について考えている章があります。
これを、「なんで熱帯魚はあんな模様をしているのか」に話をチョットだけすり変えてみると、福岡先生の問いかけている謎は、より一層深まります。
海にすんでいる魚の模様は、「保護色」という説明が成り立つかもしれません。
けれど、淡水にいる熱帯魚はどうでしょう。例えば、ブルーとレッドのラインが特徴的なネオンテトラ。
ネオンテトラはアマゾン川に生息していますが、まさかアマゾン川の植物にあんなキラキラのものがいるとは考えられません。しかも水の色は茶色。
あんなキラキラさせていたら、目立ってしまって仕方ないでしょう。
婚姻色?いや、そんなこともありません。オスもメスもあの色です。
擬態でもない、婚姻色でもない。同種認識のためにあんな派手な色にする必要があるのか…。
なんであんな色で生物淘汰を生き残ってきたのか、不思議で仕方ありません。


この本に書いてある知識を知らない人が読んでも楽しめるし、知っている人が読んでも楽しめるというのは、なかなかすごいなと思います。福岡先生のお題選びと文章力のなせる技でしょうか。
僕は生き物の話を、おもしろそうに話してくれる人のお話を聞くのが、大好きです。
別に専門的な知識に関することじゃなくてもかまわない。その人の生き物に対する姿勢が好きなのかな。
フジツボについてしゃべる人の話を聞けば、その人のフジツボに対する変な愛を感じます。
ネコについてしゃべる人の話を聞けば、その人のネコに対する愛を感じます。
生き物についてしゃべる人は、その生き物に対して愛を抱いていて、
それを面白そうにしゃべる人には、その生き物のバックグラウンドである自然への謙虚さを感じます。
福岡先生の本にしても、日高先生の本にしても、多田先生の本にしても、養老先生の本にしても、生き物に対する「興味」と自然への「謙虚さ」が感じられるんです。だからかな、読んでいて心地良い気分になる。

とてもおもしろい一冊でした。
by kobaso | 2013-10-07 22:36 | 読書小話

なにかがのこる

小学生の頃、スポーツ少年団に入って野球をしていました。

今日ふと、その時のある試合での出来事を思い出しました。
僕はそのチームでレギュラーでこそあったものの、お世辞にもうまいとは言えず、今と似たような体格だったので、パワーもありませんでした。
なので、打席に立てばたいていはベンチからバントのサインが出て、滅多にバットを振る機会はありませんでした。
けれど、その日は違いました。
たしか、同点で迎えた8回の裏、ツーアウトランナー2塁の場面で僕に打順がまわってきました。
ツーアウトなのでバントのサインが出るはずもなく、一打でれば決勝点なので、ベンチからは「振っていけ」のサインが出ました。
ふとフェンスの向こうを見ると、珍しく妹を連れて父親が試合を見に来てくれていました。

ひたすら、がむしゃらにバットを振りました。
空振りとファールを繰り返して、何球目だったか、思いっきり振ったバットにボールがしっかりと食い込みました。
今まで感じたことのないような、ボールを芯でとらえた感触。
体に伝わる振動。
カキーンという快音。
ベンチのどよめきと拍手。

ボールは、鋭いライナー性の軌道を描いてサード方向に飛びました。抜ければ確実に2塁打。
けれど、すんでのところで三塁手のファインプレーによってアウトになってしまいました。
それでも、ベンチからは拍手が聞こえました。
がっかりもしたけれど、なぜだか清々しい気持ちにもなりました。

その後しばらくして、意気地なしで根性無しの僕は野球をやめました。

「なにかひとつのことを諦めてしまった」という後悔の念が、その後の僕の人生にはついてまわりました。

その念を捨て去りたくて、中学に入ってからまた野球をはじめました。相変わらず下手でしたが、それでも最後までやり通しました。
けれど、後悔の念はぬぐえませんでした。

それは大学に入ってからも拭えませんでした。
昨年は、大学から出向して他の研究所で研究を行っていたのですが、どうやら環境になじめなかったようで、毎朝電車で吐き気がしたり、高架の下に吸い込まれそうになったり、休みの日には布団から出られなくなったりしました。
気付いた時にはもう元に戻れない状態になっていました。
それでも、小学生の頃の「続けられなかった後悔」がずっと頭の中にあって、途中でやめることができませんでした。

今になって思うと、なんて馬鹿だったんだろうと思います。
もちろん、何かを続けて、やり通すことは立派なことです。
けれど、それだけが正解なわけじゃない。
あの日の試合で得た感触のような、何か自分にとって清々としたもの、喜びを感じたことを蓄積していくことだって、良いことです。
何かを諦めることにも勇気がいるものです。
そして、諦めるまでの過程で、何か小さなことでも、得られるものはあるはずです。
「続けなければならない。諦めてはならない。」というと、もっともらしく聞こえるけれど、それだけになるとただただ苦しいばかりです。

もっと気楽に、広い視野でものごとを見られたらいいのにね。

なんて、友人とバドミントンをしてる時に思ったのでした。
by kobaso | 2013-10-02 23:19 | 退屈小話