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永遠の0 / その日東京駅五時二十五分発

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永遠の0

『あの人こそ「生き残るべき人」だったんだ』

ちょっと堅いレビューになるかもしれません。
本当は終戦記念日の日にこの下に書く「その日東京駅五時二十五分発」をアップしようと思っていたのだけれど、父親が同じことをしていたのでやめました。
原作のレビューが書かれています。

純粋に映画として面白い映画でした。ストーリー展開も、構成も。
冒頭部分を見た時に、「こんなラストシーンだったら嫌だな」と想像していたものと全く同じラストシーンであったことと、見方によっては若干美化されてしまっているようなところがあることを除いては。

ここ数年、なんとなく騒がしくなって、戦争を肯定的に捉える意見をちらほらと耳にします。
幸か不幸か、まだ僕はそういう意見を持った人としっかりと話をしたことがありません。
ただ、いささか乱暴な意見が耳に入ってくるようになったそのことに、若干の嫌悪感と共にこわさを感じてもいます。

「死にたい」という欲望といっていいのか、感情のようなものはきっとどの時代のどんな人にも共通してある。けれど、それに抗うように「生きたい」という感情もまたあって。今この時代では、そのせめぎあいの中で、家族の存在だとか社会制度の仕組みがあって、なんとか、「生きたい」という感情が勝つことが多い。
「死にたい」と「生きたい」の闘いのなかで、「誰かを守るため」という理由で個人的に死が肯定されて、死ぬことを英雄視することで社会的に死が肯定されてしまう事態は、とてつもなく恐ろしいことなんだと思っています。
「死ぬのならば誰かの役に立って死にたい」という感情が自分に無いというと嘘になるし、「死にたい」とふとした時に思ってしまう瞬間がないというとそれも嘘になる。だからこそ、それは恐ろしい事態だと思います。

『あの人こそ「生き残るべき人」だったんだ』
この台詞に、尾を引くような違和感を感じてしまいました。
戦争の中であっても「死ぬべき人」がいないのと同じように、「生き残るべき人」だっていないはずなのに。

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その日東京駅五時二十五分発 / 西川美和 / 新潮社

『まるで実感がわかないのである。実感がわかないから、心配する気持ちにも、芯がない。(中略)ぼくの心は、壊れているのか。』

永遠の0のような、壮絶な死みたいな話は、(直接的には)出てこない。壮絶な死だけが「死」なわけでもない。
この本の主人公は、終戦の玉音放送の前に部隊解散を告げられた通信兵。自分は戦争が終わったことを知っているけれど、周囲はまだ戦争を続けている宙ぶらりんな状態。故郷の広島に原爆が落ちたことは知っているけれど、直接目で確かめたわけでもない宙ぶらりんな状態。

その主人公の宙ぶらりんさが、僕たちの世代に(あるいは親の世代に)不思議と似ている気がしました。

戦争や原爆の話は聞いているし、その爪痕だって知っている。テレビをつければどこかの地域で今も戦争や紛争をしているニュースが流れる。けれど、当然、実感はわかない。
知っているようで知らず、近いようで遠い、宙ぶらりんな状態。

けれど、戦争に対する言いようのない嫌悪感みたいなものは、持っている(人が多い…はず…)。
もうあと数10年もすれば、戦争についての実体験を語ってくれる人はほとんどいなくなってしまうはずで、たぶん、これからはその実感のわかない宙ぶらりんな状態で「戦争に対する言いようのない嫌悪感」みたいなものを、どうやってつなげていくかが大切になっていくんじゃないかなぁと思います。

第二次世界大戦が終わって、まだ100年も経ってないのにね。
by kobaso | 2014-09-06 01:41 | 映画小話

いちばんここに似合う人

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いちばんここに似合う人 / ミランダ・ジュライ著 岸本佐知子訳/ 新潮クレスト・ブックス

『おめでとう、あなたテストをパスしたのよ。そうぜんぶテストだったんだ、みんなふりをしていただけ、人生は本当はもっとずっといいものなんだよ。その人は安堵のあまり声をたてて笑い、そしてメッセージをもう一度再生して、その人が知っているすべての人たちが、その人を抱きしめて輪の中に迎え入れるために彼女を待っている場所の住所を聞き直す。うれしくて目がくらみそうだ、でもこれは夢じゃない、本当のことなのだ。』

みんなちょっと、おかしい。
短編集なのだけれど、登場人物がみんなすこし奇妙。

なにか状況を変えたいとき、「ここ」ではないところに行きたいなと思った時、いつもと少し違うことをしてみたりする。
この短編集に出てくる人たちは、みんな何か孤独のようなものを感じていて、でもそれから逃れたくて、奇妙な行動をとる。老人を集めてボールに水を張って水泳の練習をしてみたり、見世物小屋で働いてみたりする。けれど、孤独みたいなものから逃れようとする行動はたいてい報われないもので、ふとした時に現実に立ち戻り、孤独みたいなものに直面して、途方に暮れてしまう。
この本のお話には、ハッピーエンドがあまりなくて。けれど、なんでだろう。絶望的な感じもあまりしない。
それはきっと、お話の終わりには、登場人物が「ここ」から半歩出た状態になっているからなんだと思う。
「ここ」が似合ってた人が、ちょっとだけ「ここ」には似合わなくなっている。現実は何も変わらないし、報われたわけでもないんだけれど、変わりそうな兆しがみえる。
でもそれは、また「ここ」に戻ってきそうな気配も漂わせていて、やっぱりハッピーではない。

僕は「その人 This person」というお話が好きでした。
その人はこの人だったから。

みんなハッピーになればいいのにな、なんて、すごく安っぽくて陳腐なことを思ったりする。
もうすぐ秋ですね。
by kobaso | 2014-09-02 23:29 | 読書小話