<   2014年 10月 ( 2 )   > この月の画像一覧

たまには音楽の話を

今日、阿佐ヶ谷ではjazzフェスティバルが開かれていて、仕事前にぶらぶら街を歩いていると、色んなところから歌声が聞こえてきました。そんな中で 夕焼けランプ っていうバンドの人たちの演奏が良くて、思わず足を止めてしまいました。そしてCD買ってしまった(笑
「また会えるね」って曲が好きだったけど、この「中央線ライダー」って曲も面白い。

音楽っていいなって思える日だったので、僕の好きな曲をいくつか。
携帯だとリンク表示がされないけれど、曲名のところをタッチするとyoutubeページに飛びます。

山﨑まさよし セロリ
「もともと何処吹く他人だから価値観はイナメナイ」

山﨑まさよしは中学のころから大好きで、今も持っているCDの約9割は山﨑まさよしです。
最近の、幸せオーラ全開の曲も好きだし、それ以上に、初期のどこか鬱憤をためこんでいる歌詞の曲も好きです。でも、やっぱり山﨑まさよしといえばセロリだなって思う。
セロリ、「歌詞の日本語が変だ」ってよく言われます。「『価値観は否めない』じゃなくて『価値観の違いは否めない』でしょ。」みたいに。
でも、僕は「価値観は否めない」の方が好きで、「育ってきた環境も違うし、相手は自分とは違う、元々は他人なんだから、その人の価値観って否定できないよね」って意味で『価値観「は」否めない』となっているのだと解釈しています。
近年の「綺麗な日本語」ブーム(?)で、綺麗な日本語とは、ら抜き言葉等のない、「正統な」日本語だと言われるようになってしまっている気がするけれど、綺麗な日本語と正統な日本語は違うと思うんです。
日常生活の場で、声高に、重箱の隅をつつくように文章の訂正を迫るような人の話す日本語の堅苦しいことったらない。し、つまらない。もっと否定したほうが良い言葉たくさんあるよ。
あれ…話がそれてしまいました。
セロリ、山﨑まさよしが本当に楽しそうに歌う。
楽しそうな歌声っていいよね。


ハンバートハンバート 「おなじ話」
「何をしてるの? なんにもしてないよ」…「何をしてるの? 手紙を書いてるの。」

ハンバートハンバートの曲、どれも短編小説みたいです。
この「おなじ話」もストーリーになっている。ストーリー性で言うと「蝙蝠傘」っていう曲も好き。
手紙、誰に宛てた手紙なんだろうなってずっと考えています。
新しい恋人だったら怖いよね。でも女の人ってそういうことするよね(偏見)。
親だったらたぶん悲しい別れ。友人だったら…何だろう。
この歌詞の中の2人はいつも同じ話をしているみたい。同じ話って言うのは、同じ内容の話ってわけじゃなくて、同じようなテーマの話ってことなんだろうな。昨日の夢がどうだったとか、今日仕事でこんなことがあって…とか。そんな話ができるのって、すごく幸せな関係だよね。
2人になにがあったのか…色んな妄想を膨らませて楽しめます。
あと、ハンバートハンバート、夫婦です。歌いながら互いに目配せしているところ、めちゃくちゃ好き。


星野源 「くだらないの中に」
「くだらないの中に愛が 人は笑うように生きる」

星野源、いつから好きになったんだっけ。2年前くらいに知ったんだけれど、何がきっかけで知ったのかうろ覚えです。
僕は、「くだらない話をする人」にすごく憧れます。
くだらない話ができる人に悪い人はいない。くだらない話ほど人を救うものもないと思う。
くだらない話をする人って、たいていその人本人もどうしようもない苦しみを抱えてたりするんだけれど、まるでそんなこと何でもないかのように「くだらない話」をするんですよね。そうやっていつも人を笑わせて、人を幸せな気分にする。そういう友人がいて、いつもかっこいいなぁって思うんです。
あと、そういう人ってたいてい変態。星野源も変態。
最近は、朝、ずっと「夢の外へ」と「crazy crazy」をリピートしながら電車に揺られています。


好きな音楽、もっともっとあるけれど、なんでもかんでも発信すればいいってものでもないよね。
中学高校と、山﨑まさよしを好きな人が誰もいなくて、一人山﨑まさよしを愛する気持ちを育てていたんだけれど、大学に入ってから山﨑まさよしを好きな友人ができて、堰を切ったかのように山﨑まさよし話ができてすごく楽しかった。そういうことができるように、好きなものを隠し持って育てながら生きていこうと思います。
by kobaso | 2014-10-26 00:06 | 退屈小話

双眼鏡からの眺め

b0180288_21125288.png

双眼鏡からの眺め / イーディス・パールマン著 古谷美登里訳 / 早川書房

『「では、彼女はどうすべきだったでしょう」ヴァルは遮るようにしてそう言った。
「逃げる」と五つの声がいっせいに言った。』


バイト帰りの土曜日の夜、いつものようにお気に入りの古本屋さんに入ると、何色もの綺麗な青が描かれた装丁に目を奪われました。いつも手にとる本よりも分厚くて、値段も少し高かったので買おうかどうか迷ったけれど、その装丁の綺麗さと、ぱらぱらとページをめくった時に目に入ってくる言葉の綺麗さに魅かれて、購入してしまいました。短編集っていう点も魅力的でした。

イーディス・パールマンの描いた世界は、時代も、場所も、人物も多様でした。戦時中のお話も、現代のお話も、欧州でのお話も南米でのお話も、そして日本でのお話もある。老衰で死んでいく老人にもなれるし、その家族にもなれる。家政婦にも、市長にも、皇帝の娘にも、障害者にも、障害者の家族にも、不貞者にも、犯罪者にもなれる。
そして、イーディス・パールマンの描くものは、装丁の色々な青に似ている感じがします。僕がこうやって書くと陳腐になるけれど、様々な喪失感や孤独が、登場人物に、時代背景に、その場所に漂っていて。著者はそれらを決して大げさな言葉や安直な言葉で描くことはなく、1つの物語全ての文章でそれらを感じさせます。
ただ、喪失感や孤独があるからといって、どうしようもないほどの「不幸」は感じません。そしてそれは、ミランダ・ジュライの「いちばんここに似合う人」で描かれていた人たちとは少し違って、イーディス・パールマンの世界の人たちは、その喪失感や孤独を、どこかで受け止めているからなのかなと感じました。

僕は短編集が好きです。
それはたぶん、1冊の本で色んな世界に入り込んでいくことができるから。
教育を受けていたころによく「想像力を養うために本を読みなさい」というような文言を耳にしたけれど、僕の場合はどれだけ本を読んでも、想像力は一向に養われませんでした。むしろ、想像力が欠けているからこそ、本の力を借りて想像を膨らませています。本から自立できない。したくもないけれど。
イーディス・パールマンの書いた600頁あまりのおかげで、3週間くらい、毎晩静かな想像を膨らませて、いろいろな場所に行くことが、いろいろな人になることができました。
みんなちょっと寂しくて、つらくて、優しかった。
充分ゆっくりと読んだつもりだったけれど、もっと長くこの濃密な本の中にいたかったな。
by kobaso | 2014-10-12 21:59 | 読書小話