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海街diary

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「もうほとんど意地じゃん」

こんばんは。人によっておはようございます。
たまに意味もなく眠れなくなる日ってありませんか。僕にはあります。
さっきまですごい雨が降っていたのだけれど、そういえば今年の夏はあまり夕立が降らないね。
東京ではあまり嗅ぐことができないけれど、滋賀みたいな田舎だと、
夕立の後には、雑草の青臭い匂いがむんわり漂って、僕はその匂いが結構好きでした。
あと、夕立を降らせる雲は積乱雲だから、雲の境目がすごくわかりやすくて、
あっちの方では降ってないんだなーとか、意味もなく空を見て雲の境目を探すのが好きだった。
思えば高校時代、そんな意味もないことばかり、ぼんやりとしていたな。

雲と言えば、暗澹とした嵐の海に、入道雲の浮かぶ青空の形をした大きな鳩が羽ばたいている絵が好きでした。
マグリットの「大家族」っていう絵。高校の時に、美術の教科書で見た絵。
先日、京都に行ったときに、友人に連れられてマグリット展に行きました。
僕は芸術を解する豊かな心は持ち合わせていないので、マグリットの意図するところの大半はわからなかったけれど、
それでも、昼の景色と夜の景色とか、嵐の空と青空とか、対照的なものを違和感なくひとつの絵に表わしている作品は、やっぱりすごく好きだった。
対照的なもの同士の境目はしっかりとあるのに、その境目がわからなくなる。
昼の絵なのか、夜の絵なのか。嵐の絵なのか、青空の絵なのか。それもわからなくなる。
これたぶん、高校生の時にも思ったんだけれど、
結局、受け取り手の解釈次第で、どんな絵にだってなる。
その人が「これは青空の絵だ」と思えば青空の絵になるし、
「これは嵐の絵だ」と思えば嵐の絵になる。
そこに青空も嵐も存在するという事実は変わらないけれど、
認識は自由に変えることができる。
ずいぶんと都合のいい話だけれど、人間そういう生き物で、認識を自由に変えていかないと
うまく生きていけないことがたくさんある。

けれど、頑なにその絵が青空の絵だと思いこんでいると、青空の景色にしか目がいかなくなって、
鳩の形が見えなくなってくる。
ひとつの認識に縋ろうとしたときに、海街diaryの佳乃が幸姉に向かって怒りながら言う。
「ほとんど意地じゃん」って。
いつの間にか意地はってしまうことってありませんか。
僕にはたくさんあります。人間って不思議。
by kobaso | 2015-08-17 02:51 | 映画小話