スカイ・クロラ

b0180288_9451850.jpgb0180288_9454133.jpg















今回は、主に映画の方の話。
ネタバレを少し含んでいるかもしれないので、そのつもりで。
いけないことだと思うんだけどね、ネタバレせずに感想をまとめられるだけの力量がありませんでした。非力なもんで。へぇ。


「同じ時代に、今もどこかで誰かが戦っている、という現実感が、人間社会のシステムには不可欠な要素だった。」
って言葉が、小説でも、映画でも、印象的でした。
だから、主人公たちは作られて、死んでもまた再生される。
戦争の、殺しあいの悲惨さを「人間」に観せるために。
彼らが死んだとき、それは彼らが仕事を果たした時で、「人間」はその死に同情するのだけれど、
彼らにとってそれは、何の解決にもつながらず、ただ侮辱にしかならない(のかもしれない)。

彼らがずっと子どもの姿のままにされているのは、きっと、大人になったら「人間」にとって彼らが脅威になるからじゃないかな。
いや、ただ単に不老不死なんだから大人になれずに子どもの姿でしかいられないっていう設定なのかもしれないんですが。
人間は、自分より大きいものを怖がるんじゃないかって思うんです。
街に(ほぼ)野生の犬や猫やカラスがいて、野生のヒグマやパンダやゾウがいないのは、だからだと思うんです。
そういう存在は、排除するか、檻の中で管理しないと、気が済まない。
主人公たちが、「人間」と同じ、もしくはそれ以上の大人になったら、
「人間」は手がつけられなくなる、管理しきれなくなることを恐れたんじゃないかな。
だから、ずっと子どものままで止めるようにしたんじゃないかな。
子どもは無力だから。少なくとも、無力だと思っているから。
逆に、子どものままの不老不死っていう存在は、なんか不気味な凄みを持っている気もするんですが。

「同じ時代に、今もどこかで誰かが戦っている、という現実感が、人間社会のシステムには不可欠な要素だった。」
って言葉は、現実的にもグサってくる言葉ですよね。
「日本は、原爆が投下されたことのある数少ない国なんだから、原爆には反対しなくてはならない。」
って、小学生のころから嫌というほど聞かされてきたけれど、もしかしたらその論理は、どこか少し、ずれているのかもしれないなって思いました。
「投下されたことがあるから」「反対しなくてはならない」わけではないよね。
だからと言って、どういう理由で原爆や戦争に反対すればいいのかって問い詰められると、よくわからなくなっちゃうんですよね。
「駄目なものはだめ。」としか、今の自分は言えません。

あと、映画では、敵側のエース・パイロットが大人の男で、
それを討てた時に、何か変わるかもしれないっていうように描かれているけれど、
一体何が変わるんでしょうね。
絶対勝てない敵=「人間」
っていう構造なのかな。「人間」を超えた時(ある意味既に超しているのだけれど)、彼らに未来が開けるのかな。
よくわかんないです。

森博嗣にはまりそうなんですが、糸井重里にもはまっているので、
あまりに雰囲気のギャップが凄すぎて、ちょっと混乱している今日この頃です(笑
by kobaso | 2010-09-25 21:35 | 映画小話
<< きのこっのーこーのこげんきのこ... 木曜だけど日曜大工 >>