春に思うこと 2

私鉄に乗って、神保町へと向かう。
出かける前は、ただ本を眺めにぶらぶらしに行こうとだけ思っていたけれど、電車に乗っているうちに写真集を探そうとか、藻類の本を探そうとか、なんか可愛い絵本を探そうと思い始める。
窓の外から見える空の色は、怪しい。今日は晴天の下で、ほがらかに古本たちとあいさつをかわしたい気分だった。何言ってんのこの人。とにかく晴れて欲しかったので、晴れろ晴れろと念じてみた。

あてずっぽうに念じていたので、誰に念が通じたのかはわからないけれど、神保町についた頃には晴れていた。あてずっぽうにありがとうございましたと念じてみる。
ギターやらトランペットやらが並ぶ楽器屋さんの前を通り過ぎ、いかにも都会な感じのするお洒落な大学の前を通る。ここを通るたびに、自分の通っている大学が本当に東京の大学なのかどうか怪しくなる。この大学には絶対、道に生魚が落ちていたりすることはないんだろうなと思う。ちょっとそれは寂しいかもしれない。我ながらわけがわからない。

そうこうして、古本街に着く。
けれど、何かが違う。どこか、閑散としている。以前見つけた絵本屋さんが見当たらない。生き物の古本ばかり集めた店が見当たらない。古本屋の入口の硝子戸が、いやによそよそしい光の反射具合をしている。店内が何となく冷たい。店の前のワゴンには、相変わらず1冊100円の本がずらりと並んでいるけれど、どの本もいまいち親しみがわかない。岩波文庫の背表紙が、変にテカテカして見える。ちょっと気持ちを落ちつけようと思って、自分の知っている本を探してみる。何もない。ヴェルヌも、芥川も、百閒先生も、見つければきっと安心できるであろう本が、何一つ見当たらない。
いつもとは違う神保町で降りたからかもしれない。いつもはお茶の水で降りる。住み慣れた所でも迷子になるような方向音痴の自分のことだから、いつもとは違う通りに来てしまったのかもしれない。
こういう時は、退散するに限る。せっかく親切な誰かさんが晴らしてくれたのに申し訳ないけれど、今日は諦めて違うところに行こうと思う。

シュルレアリスム展に行きたいと思っていたことを思い出す。
私鉄に乗って、今度は六本木へと向かう。
美術館の前につく。愕然とする。火曜日は休館日である。
もはや東京そのものに拒絶されている感じがして、悲しくなる。憎たらしげに空は晴れ渡っている。
悔しくなったので、古本街に戻ることにする。
世の女性と同じで、何度もあたれば古本街も振り向いてくれるかもしれない。もっとも、世の女性が何度もあたって振り向くかどうかは知らない。知ったこっちゃない。
とりあえず、今度はお茶の水で降りることにする。

お茶の水につく。
カレー屋さんがそこかしこにある。独特の、胃が温かくなるようなにおいがする。ちょっとお腹がすいていることに気付くけれど、古本たちに振り向いてもらうことが先だと思って、ずんずんと歩く。
古書店街につく。間違いなく、午前中に見た風景である。
窓ガラスもワゴンの中の本も、テカテカしている。こっちのことなんて見向きもしない。本の機嫌を損ねたらしい。
諦めて、昼ごはんを食べることにする。無性にオムライスが食べたくなった。
オムライスオムライスと念じながら、街を歩く。するとすぐにオムライスをディスプレイしている洋食屋さんを見つける。今日は変な念が通じる日だなと思う。とりあえずありがとうございますと念じて、店に入り、オムライスとコーヒーを注文する。
オムライスには、ふたつの種類があると思っている。
ひとつは、紡錘形のオムライスで、卵がふわふわしている。もうひとつは、ドーム状のオムライスで、卵がとろとろしている。家では前者を食べたいし、外では後者を食べたい。何となく、前者のほうが家庭的な気がする。
出てきたオムライスは、ドーム型だった。ちょっと嬉しくなる。卵も良い具合にとろとろしている。どろどろではないところが難しいんですよねぇとかなんとかわかったようなことを思いつつ口に運ぶ。
口に運びながら、ふと疑問に思った。
この食べ物を考えた人は、オムライスを先に考え付いたのだろうか、それともチキンライスを先に考え付いたのだろうか。
オムライスはオムレツライスの略である。オムレツが先にあって、「あぁこれにご飯入れたらおいしいだろうなぁ。でもそれだと物足りないから、ご飯にケチャップをあえて入れよう」と考えて、オムライスが誕生する。ある日、卵がなかったのでケチャップで味付けしたご飯をそのまま食べたら、案外美味しくて、それをチキンライスと呼んだのかもしれない。
しかし、チキンライスが先にあった可能性も十分考えられる。チキンライスを見つめていたら、卵でくるみたくなる衝動に駆られそうだ。きっと卵でくるまずにいられなくなるだろうとも思う。

これがかの有名な卵か先か鶏が先か論争である。

考えてみると、オムライスとは不思議な食べ物で、親である鶏の肉を、子どもである卵が柔らかく、やさしくつつみこんでいる。
子が、親を「はいはい、仕方ないですねぇ」と言いながらつつみこんでいる。
子どもにつつまれている鶏肉は、一体どんな気分なんだろうと思う。鶏肉の断片に気持ちも何もないから、こんなことを考えてもどうしようもないけれど。でも、悪いもんじゃない気もする。なんとなく。

戦前にもオムライスはあったのだろうか。あったのならば、戦時中はどんな呼び方をされていたのだろうか。
野球のボールとかストライクまで必死に日本語に直したのだから、オムライスだって日本語に直されたんだろう。
チキンライスはなんとなくわかる。白米の鶏肉と赤茄子(トマトのことを言うらしい)炒めとでも言えばいい。
でも、オムライスはどうか。

白米の鶏肉と赤茄子炒めの卵包み赤茄子汁かけ。

おいしそうでもなんでもない。

御夢羅委酢

中華になってしまった。

きっと、戦時中は不遇な扱いを受けていたに違いない。こんなにいいやつなのに。つらいオムライス生を歩んできたんだなぁお前というやつは。よしよし。
そんなことを考えているうちに、オムライスを食べ終え、食後のコーヒーを飲みほしてしまった。
満足して店の外に出る。相変わらず晴れている。

今日のところは家に帰ろうと思って、お茶の水駅に足を向ける。
途中、土手で梅の花を見つけた。昨日は雪が降っていたけれど、やっぱりもうすぐ春なんだなあと思う。
桜が咲いた頃にまた来よう。もう少し暖かくなったら、また街の雰囲気も変わるだろう。たぶん。
その時には、オムライスの本を探して歩こう。空っぽのリュックサックを揺らしながら、そう思った。
by kobaso | 2011-03-08 22:49 | 退屈小話
<< 春に思うこと 3 春に思うこと >>