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本屋

本屋で本を探すとき、他人がどう本を探しているのか、気になります。
最初から買う本を決めて、その本を目当てに本屋の中をさまよっているのか、
それとも、何も決めずにただぶらぶらと「何か良い本」を探しながらさまよっているのか。
僕の場合は、後者である場合が多いです。そしてまた、何となく多くの人が後者であるような気がしています。
雑誌コーナーにいる人はたいてい前者であるような気がしますが、文庫コーナーにいる人は、たぶん後者です。みんなふらふらしてます。こう、まっすぐ獲物に向かってずんずん行く感じの人、あまり見かけませんよね(たぶん)。
実際のところ、どうやって本を探している人が多いんでしょう。

僕の場合は最近、
ただ、なにか良い本ないかなと思ってふらふらして、ちょっと良いかもなって思った本を手にとって、裏表紙に書いてある内容を確認して、ぱらぱら中身を見て、買うかどうか決めています。
で、その最初の「ちょっと良いかもな」に至る本というのは、たいてい「前に読んで面白かった作家の本」「本の紹介文(本屋さんが書いている紙のやつ)をみて」「表紙がなんかいい」の3パターンです。

この3パターン、僕が「この本屋なんかいいかもな」って思う部分と、関係しています(当たり前ですが)。

まず1つ目の「前に読んで面白かった作家の本」について。
今住んでいる家の近所に、おじいさんとおばあさんが経営している小さな個人書店があります。
小さな個人書店なので、品揃えはお世辞にもいいとは言えません。置いてある本も、藤沢周平とか司馬遼太郎とか浅田次郎とか、そういう感じの本で、「歴史もの」にかなり偏っています。でも、その偏った本の群れの中に、見つけたんです。梨木香歩の作品を。しかもなぜか今までの作品が全部揃っていて。なんだか、すごくうれしくなってしまって、その趣味の偏った本の群れを見る目が変わって、「なんか面白い本あるかも」と思い、その本屋で本を探す姿勢も変わりました。よくよく探してみると、いわゆる歴史ものの群れの中にぽつりぽつりと、異色なものが混じっています。川上弘美のエッセイも、角田光代の「さがしもの」も、群れの中にいた異色な存在でした。それが悉く自分にヒットしました。
自分の知っている作家の扱いが丁寧(?)であると、その本屋のことが好きになります。

次に2つ目の「本の紹介文をみて」について。
平積みにされた本の上に、こう、画用紙に手書きの文字でその本の紹介がされているものがあるじゃないですか。あれ、結構というかかなり参考になりますよね。あと、それをみて「あぁなんか面白くなさそうやめておこう」と思う本も結構あるじゃないですか。1つ目とかぶるのですが、自分の気に入っている本に、紹介文がついていて「おもしろいよ」って書いてあると、「なかなかわかってるね(←偉そう)」とか思って、それだけでその本屋の店員さん好きになりませんか(どの店員さんが書いたとかは知らないけれど)。
この紹介文をきっかけに、瀬尾まいこの「卵の緒」を買ったりしました。

最後に、3つ目の「表紙がなんかいい」について。
これは、平積みにされている本じゃないとわからないですね。棚にきっちり収められている本はとってみないとわからないので。見た目って本の場合も結構大事で、文庫本もなんとなく表紙のデザインでその本のイメージが決まってしまったりします。この前書いた堀江敏幸の「雪沼とその周辺」も、結構前に買った本ですが、小川洋子の「偶然の祝福」も、表紙を見て買おうと思ったところが多分にあります。
なるべく本は平積みにして欲しいです(スペース的に限度はあるけれど)。

この3つを考えると、本屋って、別に色んな本が揃っている大型書店が「良い本屋」ではないなってことに気付きました。小さくてもいいんです。色んな本が揃ってなくてもいいんです。
むしろ、めちゃくちゃ偏ってて、でも愛着がある本を売っているっていう本屋がいくつかあった方が僕は嬉しいです。
たくさんの本が売っている大型書店にも良いところはたくさんあるのだけれど、迷子になっちゃうんですよね。どれを見ればいいのかわからなくなって。しかも全てが同じ本に見えてしまう。
こう、「この本読んでみよ!!」ってずんずん推してきてくれたほうが良いです。店員さんの独断と偏見で良いから。

一冊一冊に紹介文付けた本を並べるコーナーとかあると、すごくうれしいんだけどな。
by kobaso | 2011-04-04 23:32 | 退屈小話
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