教室の空気

近い将来、教員になりたい
と、思っています。

けれど、「その明確な理由は何か。」と言われると、正直なところ、答えられません。
先日、大学の先生と同期とで飲んでいる時に、「なんで教員なのか」を問い詰められて、ちょっと困りました。

ひとつの理由としては、科学が純粋に好きなので、その面白さを伝えたいということがあります。
けれど、「科学を教えたいのならば塾講師でも良い」と反論されると、その理由は教員を目指す理由としては、意味をもたなくなります。

塾は、「受験のための勉強」をしにくるところで、自由がない。試験の点数をあげるためだけに勉強するなんて、いやだなあと僕は思っているのですが、同期曰く、「それは塾によるし、受験勉強のためだけの勉強が嫌なら、そうじゃない勉強を教える塾を作ればいい。」のだそうで、それもそうだなぁと思います。

「子どもの考えを変えさせたい、影響を与えたい」という理由・考え方は、おそらく僕には希薄で、そのことは前の前の記事にも書きました。
当然、いじめ問題等はなんとかしなければならないし、生徒が社会的に悪とされるようなことをした時には、それは教員として正さなければならないと思いますが。
けれど、「夢に向かって生きろ!」みたいなのは苦手なんですよね。そういう意味で子どもの考えに介入したくはない。

そうなると、益々教員になる理由が見えなくなる。けれど、教員になりたいという気持ちは何故か残るんですよね。
なんでだろうなってしばらくぼんやりと考えてみました。

僕はたぶん、あの教室の空気が好きなんです。
喜びも楽しさもわずらわしさも苦しさも後ろめたさも混在するあの空気が。
その空気になじめないと感じたら、朝早く行って誰もいない教室を独り占めすればいい。そしたら自分だけの教室の空気を創ることができる。
時間と存在する人によってふわふわと色を変えるあの教室の空気が、好きなんじゃないかなあ。

中学だったか高校だったか、反抗期真っただ中だった友人が、こう言ったことがありました。
「教員なんて学校に未練を残したしょうもない奴らがなってるんや。」
その通りなのかもしれません。

なんて色々考えたって、ほんとに教員になるのかどうかはわからないけれど。

昨日・今日と、院の授業で館山に行っていました。夜には宴会があって(建前はミーティング)、いつのまにやら藻類の先生の隣に座っていました(こういうのがあるといつもこんな感じの配置になるのはなんでかなと思いつつ)。そこで、お酒を飲みながら先生と話していると、先生がこんなことを言っておられました。

「他の仕事の人のことはわからないけれど、大学教授なんてなろうと思ってなった人って少ないんじゃないかなぁ。今やってる仕事が理想だなんて思ってる人なんていないと思うよ。職業なんてその時の風の吹きまわしみたいなもんでさ。今そんなこと考える時間あるなら、好きなこと考える時間にまわした方が楽しいと思うけどなぁ。といっても、時代が変わってるのかな。」

性懲りもなく風に吹かれてみるかな。
by kobaso | 2013-08-22 21:54 | 退屈小話
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