●原発事故以前の社会の姿勢
原子力政策において、情報公開や市民参入の転機となったのは1995年の「もんじゅ事故」以降である。それ以前は、学・産の限られたアクターが結びついて閉鎖的な政策形成が行われてきた。「もんじゅ事故」の直後、世論の批判に危機感をもった政府は、「原子力円卓会議」の設置、原子力委員会議事録のインターネット公開、パブリックコメント制度の導入など、情報公開と意見聴取の仕組みの充実を図った。原子力委員会が主催した円卓会議は、原発反対派や一般市民も含め、多様な立場の人々を集めて原子力政策の問題点を包括的に議論した点で画期的なものであった。しかし、系統だった議論は展開されず、この会議が政策にどう影響するのかも最後まで不明瞭であり、予想される意見対立を克服あるいは融和させる運営上の工夫にも欠けていた。また、政策の本質をめぐる議論が続く傍らで原子力委員会は、下部組織である懇談会に「もんじゅ」の早期運転再開を提言させるなど、真摯さを欠いていた。パブリックコメント制度に関しても、寄せられた意見は聞きとどまる場合が多く、このように政府は原発維持の既定路線に固執しているような姿勢をとっていた。また、日本には「原子力の推進」を任務とする各組織から中立な安全審査機関やリスク評価機関が存在せず、原発立地自治体などが原発でトラブルが起こるたびに、原子力安全・保安委員を経産省から独立させるよう求めてきたが、結局そのような声も3・11まで受け入れられることはなかった。
by kobaso
| 2013-08-23 11:34
| 退屈小話
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