なにかがのこる

小学生の頃、スポーツ少年団に入って野球をしていました。

今日ふと、その時のある試合での出来事を思い出しました。
僕はそのチームでレギュラーでこそあったものの、お世辞にもうまいとは言えず、今と似たような体格だったので、パワーもありませんでした。
なので、打席に立てばたいていはベンチからバントのサインが出て、滅多にバットを振る機会はありませんでした。
けれど、その日は違いました。
たしか、同点で迎えた8回の裏、ツーアウトランナー2塁の場面で僕に打順がまわってきました。
ツーアウトなのでバントのサインが出るはずもなく、一打でれば決勝点なので、ベンチからは「振っていけ」のサインが出ました。
ふとフェンスの向こうを見ると、珍しく妹を連れて父親が試合を見に来てくれていました。

ひたすら、がむしゃらにバットを振りました。
空振りとファールを繰り返して、何球目だったか、思いっきり振ったバットにボールがしっかりと食い込みました。
今まで感じたことのないような、ボールを芯でとらえた感触。
体に伝わる振動。
カキーンという快音。
ベンチのどよめきと拍手。

ボールは、鋭いライナー性の軌道を描いてサード方向に飛びました。抜ければ確実に2塁打。
けれど、すんでのところで三塁手のファインプレーによってアウトになってしまいました。
それでも、ベンチからは拍手が聞こえました。
がっかりもしたけれど、なぜだか清々しい気持ちにもなりました。

その後しばらくして、意気地なしで根性無しの僕は野球をやめました。

「なにかひとつのことを諦めてしまった」という後悔の念が、その後の僕の人生にはついてまわりました。

その念を捨て去りたくて、中学に入ってからまた野球をはじめました。相変わらず下手でしたが、それでも最後までやり通しました。
けれど、後悔の念はぬぐえませんでした。

それは大学に入ってからも拭えませんでした。
昨年は、大学から出向して他の研究所で研究を行っていたのですが、どうやら環境になじめなかったようで、毎朝電車で吐き気がしたり、高架の下に吸い込まれそうになったり、休みの日には布団から出られなくなったりしました。
気付いた時にはもう元に戻れない状態になっていました。
それでも、小学生の頃の「続けられなかった後悔」がずっと頭の中にあって、途中でやめることができませんでした。

今になって思うと、なんて馬鹿だったんだろうと思います。
もちろん、何かを続けて、やり通すことは立派なことです。
けれど、それだけが正解なわけじゃない。
あの日の試合で得た感触のような、何か自分にとって清々としたもの、喜びを感じたことを蓄積していくことだって、良いことです。
何かを諦めることにも勇気がいるものです。
そして、諦めるまでの過程で、何か小さなことでも、得られるものはあるはずです。
「続けなければならない。諦めてはならない。」というと、もっともらしく聞こえるけれど、それだけになるとただただ苦しいばかりです。

もっと気楽に、広い視野でものごとを見られたらいいのにね。

なんて、友人とバドミントンをしてる時に思ったのでした。
by kobaso | 2013-10-02 23:19 | 退屈小話
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