ヤクルトの彼

久しぶりにヤクルトを飲んだ。
研究室の机の上に置いてあったそれは、小さく独特な形をしたプラスチックのビンの中に、何を混ぜたらこんな色になるのか不思議なくらい肌色の液体が入っていた。
飲んでみると、昔飲んだ時と全く変わらない、甘く舌に絡まってくるような味がした。
昔飲んだ時…?昔ってどのくらい昔だっけと考えてみると、まだ京都にいた頃の記憶がぼんやりと浮かんできた。

そこは川の土手のそばにある古い、というよりもぼろい家だった。
僕は小学3年生で、その家の子は同じ学校に通う年下の男の子だった。僕とその子は特に仲が良いというわけでもなく、共通点もほとんどなかった。その子は小学1年生だというのに髪の毛を染めていて、虫歯が多く、銀色の歯もあった。他の子とよく喧嘩していて、友達もあまりいなかった。
なぜその子の家に行くことになったのか、あまり覚えていない。何かの拍子に学校から一緒に帰って、家に誘われたのだったか。
家は外見もぼろかったけれど、中も散らかっていて、玄関の靴はバラバラだったし、洗濯物があちこちに散乱していた。
僕たちは何をして遊ぶでもなく、ただ話をした。何を話したのかは全然覚えていないけれど。
しばらくした後、部屋の中に茶髪の女の人が入ってきた。「いらっしゃい」とくたびれた感じでその人は言って、小さな肌色の液体が入ったプラスチックのビンを僕とその子に渡した。渡すとすぐに、女の人は気だるそうに部屋から出て行った。
僕は赤いアルミの蓋を外して一気に飲み干した。ヤクルトは冷やして飲むものだと思っていたけれど、その時のヤクルトは常温で、いつにもまして舌の上がねっとりした。
「そんな飲み方してもおいしくないやんか。」
そう言って、その子は蓋を半分くらい開けてチビチビ飲んだ。
僕は彼がヤクルトを飲む様子を見て、笑った。その子もつられて笑っていた。
ヤクルトを飲み干すと、その子は空っぽのビンをまじまじと見つめて、
「オレな、このビン集めてんねん。捨てるのもったいないやん。やから、そのビンもくれへん?」
と言った。
「ええけど、そんなん集めてどうするん?」
「わからへん。けど、なんかには使えるやろ。何に使うか今度一緒に考えようや。」
その子は2本の指にビンをはめ、カチカチとカスタネットのように鳴らした。

家を出るとき、その子は
「また来てな。」
と言った。けれど、その子の「また来てな」には力がなかった。まるで僕がまた遊びに来ることを全く期待していないかのようだった。
その「また来てな」を聞いたとき、何故かはわからないけれど僕は今まで以上にその子に親近感を覚えた。
手を振って別れたあと、その子の家を振り返って見た。
トタンの屋根はさびついていて、怪獣が歩いた時の振動だけでつぶれてしまいそうな、小さな家だった。

それ以来、その子の家に行ったことはない。誰かに止められたのだったか、判然としない。
その後僕は引っ越してその町を離れてしまったから、その男の子がどんな風に生きているのかも知らない。

それから十数年経って、空いたヤクルトのビンをぼんやり眺めて使い道を考えたけれど、何も思いつかなかった。
燃えないごみのゴミ箱にビンを投げ入れ、しばらくした頃には何もかも忘れていた。
by kobaso | 2014-05-10 00:21 | 退屈小話
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