すみれ

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すみれ/青山七恵/文藝春秋

「でも、本当に苦しくなったとき、その苦しさを自分だけでどうにかできるのかどうかは、そのときになってみなければわからない。そして、何もかも手遅れになって、一人じゃどうしようもなくなって、本当にだれかの手が必要になったとき、そこに一本の手も差し伸べられなかったらどうすればいいのか、十五歳のわたしにはもう、その先を考えることはできなくて、ただそれを怖がることしかできなかった。」

なんとなくちょっと疲れたなと思った時には、やわらかな小説が読みたくなります。
瀬尾まいこや、いしいしんじ、青山七恵が書くようなやわらかな小説。

この話に登場するレミちゃんは、ちょっと「普通」とは違う変わった人で、人との距離感がうまくつかめない。
自分の悲しみや苦しみに目がいくと、他人の善意や優しさを受け取ることができなくなってしまって、自分の中に閉じこもってしまう。差し伸べられた手を拒んでしまうんだけれど、本当はその手を握りたくて仕方がない。でも手を拒み続けていたら、当然差し伸べられる手はなくなって、いつしかもう、どうにもできなくなってしまう。

藍子は中学生とは思えない鋭さでレミちゃんを見抜きます。
レミちゃんの一連の行動から、手が差し伸べられることを当然のことだと思って(しまって)いる「甘え」を見抜き、「小説の中に出てくる悲劇のヒロイン」みたいだと話します。
藍子は、「苦しみは自分の中だけでどうにかしたい」と思い、レミちゃんのようにはなりたくないと思う。
もしかしたら藍子は、藍子自身の中にレミちゃんに似たものを見つけていたのではないかと思います。
レミちゃんは「悲劇のヒロイン」に支配されてしまった。藍子は、そんなレミちゃんを見ていたから、苦しみが重なっても「悲劇のヒロイン」をどうにかうまくやり過ごすことができたのかな。

「苦しみは自分の中だけでどうにかしたい」
それができれば、どれだけ良いことだろう。消化しきれなかった苦しみの切れ端が蓄積していって、積もり積もると「苦しい」自分に陶酔してしまう「悲劇のヒロイン(ヒーロー)」がひょっこり顔をだす。
たぶん誰だって、「悲劇のヒロイン(ヒーロー)」状態に陥ってしまうことがあるのだろうけれど、いつしかそれではいけないことに気付く。いつ・どのタイミングでかはわからないけれど、「苦しみ」に陶酔していてはいけないことに気付く。
藍子は「レミちゃんを見て」そのことに気付いたけれど、自分はいったいどのタイミングで気付いたんだっけ。
もしかしたら、まだしっかりとは気付いてないのかもしれません。

苦しみなんて人それぞれで、ある人にとって苦しいことが、他の人にとっても同じように苦しいこととは限りません。
だから人の苦しみは、想像することはできても、わかることはできない。
だから自分の苦しみを、人に無理やり理解させるように投げつけたりもできない。

「苦しみ」はにっちもさっちもいかない。けれど、にっちもさっちもいかないということをしっかり理解していれば、人から手を差し伸べられた時の有り難さをかみしめながら、素直にその手をつかむことが、できるのかもしれないなと思いました。

レミちゃんは「苦しみ」への向き合い方がへたくそだった。
でも、レミちゃんは多かれ少なかれ藍子の中にもいるし、僕の中にもいるし、たぶん他の人の中にだっている。だから藍子はレミちゃんを救いたいと思ったんじゃないかな。
by kobaso | 2014-07-23 00:07 | 読書小話
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